Letter No. 39 ひんやりする話
外は摂氏38度
茹だるような暑さである
朝ぶぶを外に連れ出そうとするが
朝7時くらいの時点で
すでに太陽が地面を照り付けており
明らかな紫外線の強さに挫けてしまう
そんな暑さ全開の中
今日は一つ少々ひんやりする話をお届けしたい
先日妻の友人たちと集まった時に
妻が怖い話が苦手と言ったので
意地悪しようと披露してやった話である
ほんとに少しゾッとしたらしい
結論から申し上げよう
僕が小さい時
多分小学生くらいになるまでの間
僕には僕にしか見えない友達がいた
名前は「ぶんちゃん」という
僕の実家の1階にはトイレがあるのだが
そこに行くまでは少し入り組んだ廊下を通る必要がある
その廊下の右側には玄関口が広がっていて
廊下を通るとちょうど右手に靴箱が置いてある
その靴箱には犬を鬼化したような
不気味なお面が置いてあって
(未だにあれが何で、どこでもらってきたものなのかよく知らない)
夜闇の中に廊下の薄暗い電気に照らされると
一層不気味に浮かび上がるのだ
思い起こせば
「ぶんちゃん」はそのお面のあたりで
よく出没した
そして都合よくトイレまで一緒についてきてくれて
トイレで小便している間もずっと隣で見守って
僕の話をずっと聞いてくれるのである
僕はトイレの水を流して電気を消すまで
ずっと「ぶんちゃん、あのね」と言って
話しかけ続ける
夜だけではない
昼間で自分一人で居間にいる時も
ときどき出没してくれる
例えば外出した親がなかなか帰ってこなくて
子供ながらにどんどん不安になるとき
ぶんちゃんが「大丈夫大丈夫」と言って
安心させてくれるのである
もう一つ紹介すると
うちの家の近くにある神社の森には
「ゴロスケホー」という化け物が住んでいた
子供が夜寝なかったり悪いことをすると
夜に我が家までさらいに来て
森の中に連れて行く
親が「ゴロスケホー」が出るよ
と言ったのが発端だったと思うが
夜中にベッドで耳を澄ますと
確かに森の方から「ホーホー」とか
「ゴッゴーグルグルグル」とか
低い音が聞こえるのだから
本当に毛むくじゃらででっかい
化け物がいるのではあるまいかと
その気配を肌で感じていた
小学校に入るくらいまでは
神社の森の前を通るときは鳥肌が立ってしまい
いつも駆け足で通り過ぎていたものだ
なぜこんなことを思い出したか
一つは友人の3歳の娘を観察してて
ふと子供の持つ想像力について
考えさせられたからだ
彼女はゾーンに入れば
その場があっという間にジャングルになったり
お姫様のお城になったり
一人何役もしながらずっと喋り続けられる
まだ「こういうことは考えちゃおかしい」とか
「こういうことの後は普通ならこうなる」とか
発想になんのタブーも制約もないから
それはもうクリエイティビティの塊である
そうして創造をひたすらに繰り返す彼女は
とにかく楽しくて生き生きしているのである
もう一つは
最近ぶぶが昼寝している隣でこっそり
「隣のトトロ」を懐かしんで見ていたら
何度も涙腺が緩んでしまったことがきっかけだ
お風呂に入って
大声で笑ってマックロクロスケを家から追い払うシーン
お父さんと神社に行って
森の主(トトロ)に「メイがおせわになりました」と
お礼を言いに行くシーン
雨の中バス停でお父さんの帰りを待つと
トトロが隣に来て、傘を渡す代わりにドングリのお土産をくれるシーン
サツキとメイがまいたドングリのタネを
夜中にトトロが大きく成長させるシーン
迷子になったメイを懸命に探すサツキを
トトロとネコバスが助けるシーン
「隣のトトロ」は
子供にあって大人にない
「見る」力「感じる」力と
それを温かく見守る大人たちの物語だ
特に「大人たち」の主軸である
「お父さん」の描写が素晴らしい
「そりゃマックロクロスケだね」
「森の主に違いないね」
「運が良ければ会えるよ」
温かく懐かしそうに語りかけ
子供達の背中をそっと優しく押すのだ
はてさて僕が幼い頃
「ぶんちゃん」や「ゴロスケホー」は
本当にいたのだろうか
子供にしか見えない、感じ得ない何かが
そこに存在していたのだろうか
それとも僕の想像力が作り出した
空想上の産物だったのであろうか
僕は大人になって
そういう世界のことを
すっかり忘れてしまっていたけど
ぶぶがいつか
ぶぶ自身の「ぶんちゃん」に遭遇したとき
僕もトトロの「お父さん」のように
そっと優しく背中を推してあげられるようになりたい
あれ
ぶぶが僕の肩の上あたりをぼんやり見ている
これはもしかすると、、、
おしまい。



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